日陰で忘れられてる落ち葉になりたい

誰にも構われたくないという矛盾

かわいそう搾取

私が見捨てたら誰が助けてあげるの、かわいそうだから助けてあげなきゃ。そう思うけど見返りがあるわけではない。見捨てた罪悪感を抱えたくないから助けている。かわいそうと思うけどそれが毎日死ぬまで続く日常にあるからかわいそうよりもむかつくが上回ることの方が多い。だけど見捨てる罪悪感や己の正義や、自分の身の可愛さ、よくわからないプライドみたいなものが見捨てる選択肢に蓋をする。見捨てる選択肢の先には何もないのだけど、このかわいそうだから助けてあげなきゃという気持ちがどんどん重たくなっていく。砂を詰められたリュックを放り捨てたいのにリュックを背負ったまま足のつかない海の中を溺れながら漂うことしかできない。息をしてるだけで偉いよって自分を慰めながら。